最近手に入れたもの
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特集 | 建築のメタリアル
1つはR.M.Schindler.彼の自邸を見て、是非手元に置いておきたいと思い購入。今のうちに。
もう1つは、先生から戴いたもの。近自然河川工法の先駆者、福留氏の仕事の軌跡。
最後、建築系同人誌ねもは。鈴木了二先生の対談、など。
久しぶりのぐったり休日
11月初め、他の人が遠くに出掛けたり遊んでいるのを横目に何徹したのか覚えていないくらい作業に没頭していて、気づけば発表が終わり、休みも終わっていた。
そして休む間もなく研究室の調査と卒計のキックオフミーティングがあり、頭を悩ませる。今年はそんな秋。
これまでにやってきたことの集大成として、適当なものは残せないというプレッシャーに潰されそうになりながら、一旦頭を切り替えねばと思って、先週末は映画三昧な二日間に。
3月、恵比寿の写真美術館で行われた映像祭にも出品された七里圭・鈴木了二共同監督のDUBHOUSE 物質試行52。
今回で3回観たことになるが、身体感覚の奥底を揺さぶられるような映像で、トークを聴いても未だにわからないことのほうが多い不思議な体験。
「建築は闇をつくる力がある」ということは、建築には光をつくる力があるということでもある。
それから、眠り姫とマリッジリングを続けて。
本当はAspenの未公開バージョンも観たかったけど、諦めた。
寿解放区
先日ようやく共同設計が終わり、展覧会で発表を済ませる。先生からもいくつか興味深い講評を頂く。
進めてきた方向が正しいのかは議論の余地が大いにある。特に、建築であること、建築ではないことの境目がつかなくなっている、つまり一人の設計者としてどこまで手を下すことができるのか、について。
しかしながら、自分たちの言いたかったことは少なからず伝わったようで、それに関しては良かったと言えると思う。
* * *
3-02 寿の夜
3-03 簡易宿泊所の均質な空間
横浜市寿町。簡易宿泊所に押し込められてきた人たちが路上にあふれ、勝手に生活を始めてしまうとしたら、どうなるか。こんなことが現実にもあるかもしれない。
3-04 perspective
何故、こんなことになるのか。
寿には、今なお120軒以上の宿泊所が存在すると言われるが、その特質としては一室3畳程度(約5㎡)で、同じような間取り、同じような設備、同じような狭小生活空間、とファサードにその”均質な空間の連続性”が色濃く顕在化している。
しかしながら、本来人間的な営みや、人と人同士の関わり合いは、非均質な空間構成を持つものであり、その距離感や間合いも自由であるべきだ。実際、寿には日常からある意味祭り的な空間の使われ方、店先からテントを伸ばし、椅子やテーブルを置いて談笑する姿、何をするでもなく歩き回っている人たちが多くいる。
3-05 寿の社会状況
3-06 最小限居住装置の分解
そこで我々は、Micropolisという課題テーマに則り、3人で8㎡という最小限居住装置を、一人がすっぽり収まる910×910×2100の人間尺度的空間の原型まで分解し、それの集合によってできる、ひとつの集落体としての風景を表現しようとした。
3-07 unit section detail, plan
3-08 combination of the plural units
提案の骨子は、H型鋼にL型アングルをボルト締めした簡素なフレームと、取り外し・開閉可能な、かつ多様なバリエーションを持つ機能を入れ込んだパネルの組み合わせによって構成するシステムの提案である。それ以後は我々が直接手を下すわけではなく、彼ら自身の思い思いの配置、パネルの開き方や組み合わせによって、人間的な生活を再び取り戻していく。
このシステムは、1つのユニットをある意味で擬人化し、人と人との間に生まれる微妙な距離感や間合い、空気を映す鏡にもなる。パネルを開いて向かい合うように、あるいはユニット同士をつなげて寄り添うように、はたまた、背を向けて距離を置くように・・・。
3-09 plan
3-10 N-elevation
3-11 S-elevation
3-12 perspective
都市の均質化という異質な現象に対し、非均質で一見無秩序なものを挿入することで、ある秩序を生み出せるかもしれない。
そして、非建築的なものの中に、果たして建築的なものはあるのか、建築に出来ることは何なのか、その意味を再考することになるだろう。
課題終
夏季休業期間から始まっていた共同設計課題が先日一区切りを迎える。
学校では3年第三課題で必ず共同設計をやることになっているけれども、これがまた非常に難しい。課題は仕事ではないし、相手に作業を強制することもできないぶん、モティベーションを保つのに非常に苦労した感じがある。
というほど今回は自分も頑張れていないのだけど。
今回の課題は、過密な都市におけるマイクロポリスのあり方、延床8㎡で3人の生活するスペース("最小限居住装置")というものを設計することにある。このテーマな時点でどうかしてると思うが、狭小空間のあり方や都市における内外のあり方、物質(マテリアル)と身体との関係について再考する、そんな建築的でありそうで非建築的なものをデザインすることが主題である。
自分らは、そこで社会性を切り口に提案を考えてみた。
敷地は、横浜市寿町。今なおドヤ街と呼ばれる簡易宿泊所が多数展開する一区画である。提案の根幹は、一部屋平均5㎡程度という劣悪な居住環境と、卓越した高齢化社会、進行し続ける単身社会化からくる均質空間の連続という呪縛からいかに逃れることができるかというもの。
常に都市の内側に押し込められてきた人間関係と小宇宙的社会を路上に解放し、人々は外側に言わば空間共有型ドヤを形成していく。
非日常を日常と錯覚する一種の祭りとしての空間。
今は数日後の展覧会に向け、再度練り直しをしている段階。どこまで挑戦的になれるか。
久しぶりの研究室
先生からの依頼で、久しぶりに研究室を訪れる。整頓されていない生活感のある見慣れた風景。
コーヒーを振舞われて、あぁ自分はこの研究室を卒業したのだと実感する。
話は完全に決まったわけではないけれど、いくつかの仕事を任されることになった。
思い返せば、M1の時もプロジェクトにかかりっきりになっていた。自分は論文よりも実践の方が向いているんだろう・・・と勝手に思いながら精一杯やっていたことを思い出す。
あれから時間は経ったが、いよいよ社会に還元していく年代になって、進路やこれから先のプランを決める時がきている。それと共に今回の話はなかなかに魅力的で、どういうことで貢献できるのかを考えるいい機会にもなりそうだ、と思っている。
土木やランドスケープ、それから建築を横断する視野の広さというアドバンテージを生かして、できることをやり続ける。
そういう生き方をしていけたらいいと思う。