桑名 ー 住吉入江




2月末、恵那での合宿の帰りに立ち寄る。(どう考えても書いてる日がおかしい。)
合宿では相変わらず色々とぶん投げられて、密かに思い描いていたプランが総崩れとなる。というわけで、気分転換も兼ねて桑名のまちを歩いてきた。
駅に着いた頃には辺りもだいぶ暗くなり始めていて、人々は足早に道を往き交い、居酒屋にも人がだんだん増えてくる。まずは適当に、駅から真っ直ぐ伸びた道をゆく。すると、舗装が変わり、視界が広がり広場に出た。ナグモさんのデザインかなぁというストリートファニチュアがお目にかかる。そのまま通り過ぎて、川の方へ向うと風も出てきていて、若干寒い。勾配もだいぶ上がってきて、それにあわせて護岸が目に入って来る。揖斐川だ。
まちなかには寺社等の旧跡が本当に多くて、歩きまわってみると町並みの中に急に現れたり、なかなか面白い。その辺をふらふら歩いてから、お目当ての住吉入江へ。






思うことはいろいろある。何だかいいなぁって思う部分と、あれ?と思う部分とが混ざり合ったような気分。
ポケットパークみたいな開けた場所がいくつかあったが、ベンチも含めてあまり使われていないのでは、という気がした。いつだったかに聞いたことだが、設計者と行政、そして使い手との関係がうまくマネージメントできなかった部分もあるのだという。
そういう意味で、いい部分と悪い部分がその空間ににじみ出てきている。そんな風に感じた。


色々巡ってみていると、公共空間のデザインは本当に難しいと思っていて、デザインそのものが他に波及効果を与える(例えば、人の活動が生まれるようになったり、居場所が増えたり・・・)例は、実は結構限られているのではないだろうか。
例えば、人の活動が生まれるという出来事一つとっても、事業の立ち上げ段階から継続的に人の手が入ったり、様々な人々の連携があって、それらが維持されるような気がしてしまうのだ。
そう考えたときに、公共空間そのものが持つ空間的な力、デザインの力、という一見評価しにくい部分はどうなるのであろうか。


その日は名古屋でインターンの先輩宅に泊めてもらった。
学生と社会人の違いは、「責任」ただそれだけ、という話をした。


朝には、喫茶店でモーニングをいただく。つい、長居しすぎた。