上野村へいってきた。

みんなが論文の正念場の1月。ふらーっと、いわゆる中山間地域という場所にいってきた。冬の見学会というわけで、しっとりと、かつじっくりとこれからの農村について考える機会となった。
場所は、群馬県上野村。「クライマーズ・ハイ」の御巣鷹山で有名な、あそこだ。
川が村の中心を貫いていて、集落は川に張り付くようにして点在している。山は例のごとく急峻だったが、訪れたのが冬だったためか、ひっそりと優しく佇むその姿は美しくも思えた。
しかし、ひとたび奥の集落に向かって上っていくと、やっぱり山の脅威が顔をみせる。(おおげさ。)







ずっと昔からあったような趣のダムとか。



下におりると、川沿いの斜面地に張り付くようにして家が建っている。「なんでこんなところに?」というのは、日本中どこの地域に行っても思うところがある。
車社会の視点からみればおかしなことかもしれないが、人々の生活の視点から見れば、至極当たり前のことなんだ、という話をどこかで聞いたことを思い出した。



川のあちら側とこちら側を繋ぐ橋もきっと手づくり。というか、「手づくり」なんて概念は存在せず、これもきっと当たり前なんだろう。田舎で暮らすには、それ相応に適応するための技術が要る。






お世話になったお宅で、薪を拾いに行ったのだが、このとおり拾うだけでも疲労困憊。






お餅をついたり、ついたお餅を焼いて食べたり、なんだかほっこりした冬の数日間だった。
もちろん、ずっと抱えていた問題意識についても議論して、答えのないなか悶々とした時間もあったけれど。
だけど、村の将来を背負って立とうという若者だったり、自分が死ぬまでは勝手なことはさせない、とでもいうような気概を持った人たちがいるのは確かで、実際にどんなことが起こっているのかを目の当たりにしておくことは、将来どうやって生きていくのか、ということをシンプルに受け止めていけるのではないか、というようなことも改めて思い直した。


感じたことは、また次の機会に書きとめることにしよう。