he is a gentleman.


藝大にて槇さん講演会。色々思うところあったのでメモ。
彼の話を聴くのは去年のメタボリズム展以来か。相変わらず元気溌溂で、てっきり座って喋っているのかと思ったら最後まで立って話をしていた。その姿はこれからの世界を背負って立たねばならない学生に向けて、培ってきた経験に基づく言葉の数々を余すところ無く伝えようという気迫へと転化したせいか、心の奥底まですっと伝わってきた。


彼の代表作でもあるヒルサイドテラスについて、何故あのような計画になったのか自身の口から話を聴いたことは無かったので、意外と新鮮だった。例えば、デザインモティーフとしてギリシャの群島Hydraから着想を得て部分の集合から成る全体を考慮する、つまり集落への回帰とでもいうべきものや、時代ごとに反映されていく、時の重層性を受け入れるということなど。コミュニティの問題は時期の変化によってそのあり方も変容していくだろう。
なかでも特に面白かったのが、言語と建築には通底しあう要素があるということ。一定の領域において限られるlocal languageから思考を共有するintellectual languageへの言語の変遷と、建築におけるvernacular architectureからstylistic architectureへの変遷には、同様に進歩させ洗練していく流れの緊密な関係性が存在する。これは権威・権力が根付いたことにより、templeやchurch、mosque、town hall、libraryなどの共通言語へと領域を押し拡げているようにも思える。
時代の潮流は明らかに、反歴史・地域主義や抽象・均質主義、技術至上の全盛へと着実に変化を遂げている。このように全ての価値が相対化している中で、建築に何ができるのか、自分に何ができるのか、それを問題であると捉え、建築と切実に向き合うことが必要なのだ、、ということを仰っていたと思う。
胸が痛い。


結局、建築における問題は形態論と空間論の二項対立図式の中に答えが見つかるかもしれないが、見つからないかもしれないということを思う。
人が使って自然かどうか。簡単に言えばそういうところにリアリティが無ければ、建築である意味が無い。そしてそこに将来が隠されているような気がしてならない。