夏の気配と建築的なもの

今年度に入ってから本格的に勉強を始めた建築。
ランドスケープのほうで図面描いたり、模型つくったりとやっていることはほぼ同じなんだけど、最初は何だかよくわからないもやもやした感じがあったり。
最近は課題の方もだんだんはっきりと輪郭がみえてきて、ようやく建築ってこんなんかなぁ?っていう雰囲気を感じ取れるようになってきた。
そして、気づいたら、紫陽花の時期も過ぎようとしてたり。



ここのところは修論というひたすらのアウトプット作業の合間をぬって、展覧会に行ったり座談会に顔を出したりしてちょこまかとインプットもしている。
特に、「建築って何なのか?」ってことを以前とは違った視点で考えるようになった。
建築学科の友だちがよく言っていた、建築的に解釈するということの意味、なんか小難しい言葉のオンパレードでよく知らない人たちは蚊帳の外みたいな雰囲気をこれまで感じたりしていたんだけど、何となく自分なりに考えられるようになった気もする。
だましだまし。
建築ってのは実にとらえどころのないもので、何を扱うにしても、何を対象にしても、ひとたび見方を変えれば建築的なものに見えてきてしまうという摩訶不思議。



アタマを柔らかくしようとして汗だくになりながら、その感覚と実際の課題の間を行き来して、手を動かし、そしてまた考える。
こりゃーいよいよおもしろい。
論理的なものと感覚的なものを一緒にしてやると、わけわかんなくなりそうだが、そういうのもけっこう好きだ。