嵐の前の静けさ

昨日は電話してたり色々してたら随分と寝るのが遅くなってしまったが、意外と今日の寝覚めはいい。
わりとゆったりした時間を持てている気はするんだけど、目の前にもの凄くでかい壁が立ちはだかっていて、今からそこを乗り越えるんだ…!という感じで、英気を養っている……そんな気分。
そんなときは、こないだ読んだ本のことでも。


今和次郎―その考現学

今和次郎―その考現学

今和次郎に関する本を初めて読んだ。
すごく、この時代のなかを先を読んで動いていた、そんな印象を受けた。
過去における日常生活の様々な具体的な様相が、いかにわからなくなっているか。それを記録にとどめておかなければと思った今は、この研究をさらに進めていったという。誰もそれを記録しないということは、逆に言えば、誰もが日常生活をはっきりとした意識で見ていないということなのではないか。
つまり、”今の”現実ですら、誰もが本当は解っていないということになる。
これを読んでいて、背筋がうすら寒くなった…。確かに、この文を書いている今もそれはすでに過去になっているわけで、それ自体がすでに分析の対象として考えられる、なんて全然思ってもみなかった。普通は、考古学とか、そういうものが研究として成り立ってるという気がやっぱりするんだけど、それを研究に仕立て上げた今和次郎はやっぱりすげぇ!と思った。
もっと読まなきゃだ。今度は是非本人のやつを…。