人と接する

かくれた次元

かくれた次元

この日は何というか人との距離感というか、社会距離を読み間違えて独りでに沈んだ気分に。
やはりE.ホールの言うように、人にはそれなりのテリトリーとして自由に動ける範囲が必要だと実感したりしなかったり。
日本人は他人と密接した空間におかれて、例えばあれほど混雑した電車の中で平然としていられるのはなぜだろうか。
皮膚感覚というものが、ある距離においては想像していたよりも安定した情報源であると書かれているが、他人の温度を感じることに何かしらの反射行為が出てしまうのは、車内が暑くて皮膚温度の上昇を感じやすいからなのか。それとも冷房が効いてさえいれば多少の混雑には耐えられるということなのか。
何にしても、自分の決めた範囲に他人が入ってくると嫌な気分になるし、視野に入るのもできれば避けたいと思ってしまう、というところに何となく目には見えない人間的な混みあいのテーマが隠されているんだろうか。
日常的な側面で実感できるところに、かくれた次元の凄さがある気がする。何度読んでも切り口が面白い。