農山村での生き方

今回は久しぶりの早川入り。
目的は、ファッションに関する記事を書くためのネタ集めと、ここんとこ2、3ヶ月くらいサボってたそつろん・・・。(長すぎだろってツッコミはナシの方向で、汗)
ゼミをぶっちぎって飛び込んできたわけだけど、相変わらずな空気に毎度ほっとする。
今日はそのネタ集めのため、明日のヒアリングのアポとりと、卒論で話を聞くことになったり、頭が痛くなりながら過ごしてた。


農山村に住む人は、求めようとした結果、今があるわけではなく、生活の必然性が結果にあらわれただけ、という。
伝統文化を残したいと人は言うけれど、それだけが本当の価値なんだろうか?と常に疑問を持っていた。
年齢によっても、体験してきたことは都会に比べて劇的に違う。
生まれてきたときには、その必然性を受け入れるしかない。そのうえで育ってきたため、その記憶が潜在的に体に染み付く。


その時点で、見ているものも、考えていることも、自分の想像がつかないところにあるんだろうな、と思う。
手をいくら伸ばしても、空気をつかもうとするくらいの、空虚感。


子どもの頃の記憶って、実は大事だ。
今の自分を形づくっている根本って、何なんだろう?と思いつつ、話を聞かせていただいた。